自分勝手でわがままだけど

 

はやく地球をすべて包み込むような優しさの権化になりたい
 
どうして済んだことはすべて愛おしく感じれるのだろう
どうして済まなければすべて愛おしく感じれないのだろう
 
何事もいつだって失ってはじめてその大切さに気づく
本当にその通り ダサ笑薄っぺらいな〜笑 と昔は斜に構えて思ってた
 
鈍感になりたかった
鈍感になれたら
 
感受性が豊かすぎるから 小雨だってどしゃ降りに感じてしまう
会話の流れで出た言葉も全体重をかけて期待をしてしまう
 

心配性の人

人のことをいちいち心配して そばにいると

鬱陶しいほど

 

そこまでいかなくても心配がちな人は多い

なにも「一切心配するな」と言っているわけじゃない

愛するものを気遣うのは当然

 

でも心配ってしてもしょうがない

特にそれを相手に言ってもしょうがない

エゴでしかない

 

心配は、エゴ。

 

自分が困るから

愛するひとになにかあったらそれを受け止めなければならない

そんなことできない

 

自分で受け止めたくないから

自分がかわいいから

自分のエゴのために口やかましく心配をする

 

その言葉は相手に対する 甘え と 強迫 だ

私に面倒を持ち込まないでね

ここから離れないでね、という

 

本当に愛する人がいる時、大事な人がいる時、この思いをぐっと飲み込んで、自由な人生へと、笑顔で送り出す

 

それが、愛するもののとるべき態度

覚悟するということ

 

そして、ただ、そっと祈る

どうか無事で と

 

祈ることしか人は愛するものにしてはいけない

それ以外はすべて束縛となる